森田城 (もりたじょう) (今宮台城・龍崖城)
最寄地 栃木県那須烏山市森田389 2015.1.25
森田城 (もりたじょう) (今宮台城・龍崖城)
最寄地 栃木県那須烏山市森田389 2015.1.25
登城ルート
大田原氏累代の墓碑
空堀
空堀
横堀・虎口
主郭・説明板
南の曲輪
森田城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高40m】
【案内・感想】 那珂川に注ぐ荒川右岸に位置し、芳朝寺(表記番地)の南に登り口があり[マップコード222 150 498*50](地図)、途中に「大田原氏累代の墓碑」がある。
その横を登って行くと空堀があり、虎口を入ると比高約40m山頂に主郭がある。北に土塁が残り、四阿が建てられている。
南に一段下がって曲輪があり、併せて東西約110m南北180mの広さがある。
【歴史】 文治三年(1187年)に那須資隆の長男太郎光隆がこの地を分知され、森田城を築いて、森田氏を称した。
以来那須十氏の一つ森田氏代々の居城となったが、天正十八年(1590年)豊富秀吉による烏山城主の那須氏の改易に伴い、森田城も廃城となった。
その後、慶長五年(1600年)大田原城主綱清の次子増清は、本家大田原氏領の内小塙地内を石高25石で永代借地し、字上の台に小塙(こばな)館(森田陣屋)を築き陣屋とし、以後代々の居館とした。
芳朝寺は森田氏の菩提寺として森田字石原の地に建立され、その後大田原氏となって以降は、大田原氏の菩提寺となり、元禄十六年(1703年)四代清勝の時、森田城跡中腹の現在の位置に移された。『那須烏山教育委員会説明板』より。