戸祭中城 (とまつりなかじょう)
所在地 栃木県宇都宮市戸祭元町7 2015.2.1 2015.2.14
戸祭中城 (とまつりなかじょう)
所在地 栃木県宇都宮市戸祭元町7 2015.2.1 2015.2.14
龍神社
十九夜堂・城趾碑
十九夜堂・城趾碑
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 「県庁西通り」より西に行った、徳榮ビル(戸祭元町5−5)の西に龍神社(地図)があり、一帯は小高くなっているが、宅地化が進み遺構はない。
南西に150mほど行った十九夜堂(表記番地)[マップコード39 511 752*51](地図)の建物角に「戸祭中城趾」の石碑が建てられている。石碑側面の碑文は以下の通りに記されている。
『往昔天台座主宗円 下野国守護に任じ 城山「現多気山」に城郭を築き宇都宮氏を称す。承久の乱後、その客将戸祭氏二荒山神社北方高地「現八幡山公園」に出丸砦を築き文明二年備中守高定は、山城の一廓に雪江良訓禅師を請し祥雲寺を開創し、この地に居館を営む。戸祭中城之にして戸祭の地名これに始まる。昭和六十三薬師堂改築に當り地名等の因田を後昆に遺さん為に戸祭中城趾の碑を建立するものなり。戸祭祥雲寺第二十七世 貫山裕之』
【歴史】 宇都宮景綱(宇都宮氏七代当主)の弟の子泰貞が戸祭氏を名乗りこの地に城を築いたとされる。
戸祭氏は南北朝期以来、宇都宮氏の重臣として活躍した。築城時期は、宇都宮景綱(1235~1298年)が鎌倉中期に生きた人物であるために鎌倉中期と思われる。
文明二年(1470年)、戸祭備中守高定は、山城の一郭に祥雲寺を開創し、戸祭に居館を営んだと言う。城跡のすぐ東には祥雲寺には、戸祭備前守の墓が残っている。