中居城 (なかいじょう) (市の史跡)
最寄地 茨城県鉾田市中居1260 2016.2.11
中居城 (なかいじょう) (市の史跡)
最寄地 茨城県鉾田市中居1260 2016.2.11
登城ルート
入口・標柱
主郭・虎口土塁
主郭・社
2郭・土塁
2郭南空堀
中居城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高20m】
【案内・感想】 県道18号線より東に1.2km行った、表記番地の植込みに「中居城跡入口」碑と小さな説明板が建てられている[マップコード162 593 463*64](地図)。
民家の間を登ってゆくと間もなく、竪堀、空堀を備えた虎口に至る。主郭は土塁が巡らされ、小さな社が祀られている。
社の後ろの土塁を下ると、西に一段低く、2郭がある。土塁が巡らされ、西から南にかけて深さ10mほどの空堀がよく残り、虎口南まで続いている。
規模は東西約150m南北約600mもある広大な山城である。中世山城の面影を良く残している。
中居城跡は、昭和四十七年(1972年)4月、大洋村の史跡に指定された。
【歴史】 鎌倉時代初期、常陸大掾氏一族の鹿島三郎政幹の第三子・四郎時幹(ときもと)により築かれた。
時幹は、はじめ白鳥城を築き拠点とした。しかし、勢力の拡大に伴い手狭となり、新たに要害の地に中居城を築き移り、地名にちなんで中居四郎と名乗った。『現地大洋村説明板』より。
天正十九年(1591年)中居秀幹は、佐竹義宣の「南方三十三館仕置き」により太田城で誘殺されそうになったが、逃げる途中討ち死にしたとも云われている。 この後、中居城は廃城となったと考えられる。