桃井城 (もものいじょう) (桃井東城・大藪城)
所在地 群馬県北群馬郡吉岡町南下 2018.1.20
桃井城 (もものいじょう) (桃井東城・大藪城)
所在地 群馬県北群馬郡吉岡町南下 2018.1.20
説明板
1郭・配水施設
物見台
城跡標柱と説明板
2郭
桃井城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 吉岡町の標高247.5mの丘陵にあり、配水施設が設置されている。重機が入り今まさに公園造成中で改変され、遺構はほとんど見られない。
【案内】 県道25号線「大藪」交差点のすぐ東より北東に行き金剛寺前を通って、その背後を東に行くと配水施設がある[マップコード94 674 269*63]。
配水施設から西の藪が1郭で、その北に物見台が公園として整備中であった。最高所の物見台に三角点、城跡標柱、説明板が建てられている。北東に2郭がある。
【歴史】 南北朝時代、この地に生まれ足利氏の武将桃井直常(もものいただつね)の居城と伝えられており、桃井城又は大藪城と云われ、榛東村山子田の山子田城(桃井城)と密接な関係にあった。
直常は弟直信と共に足利尊氏に従い京都の六波羅探題を滅ぼし、その後観応の擾乱では尊氏の弟直義(ただよし)に従い、南朝方に協力し、播磨守と称した。
その後、興国五年/康永三年(1344年)越中守護となり、越中に庄ノ城、千代ヶ様城、布市城、津毛城を築き、越中支配の拠点とし、北朝の尊氏方と戦った。
晩年は播磨(榛東村)で隠棲したと伝えられている。『吉岡町教育委員会説明板』より。