奥牧野城 (おくまぎのじょう)
最寄地 神奈川県相模原市緑区牧野9197 2016.1.23
奥牧野城 (おくまぎのじょう)
最寄地 神奈川県相模原市緑区牧野9197 2016.1.23
登城ルート
前川橋
武者屋敷跡・説明板
説明板
武者屋敷跡
主郭虎口
主郭
奥牧野城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 県道35号線に面した「奥牧野生活改善センター」に駐車できる[マップコード251 570 584*22] 。
南に下って、秋山川の吊り橋を渡るとすぐ「奥牧野城山」の説明板(地図)が建てられている。
道に面して古い石垣が残っている。説明板の50mほど南に登り口があり、段々になった広い武者屋敷跡がある。登って左に「傘松塚」、祠がある。
右に比高10mほど登ると虎口があり、秋山川に突き出た標高278mの丘陵に築かれ、東西約70m南北約40mの広い主郭が二段になって残る。小屋や朽ちた電柱(碍子が残る)があり、近年まで生活の痕跡がうかがえる。
【歴史】 戦国時代、甲斐武田氏に備える北条方の出城であり、武田・北条の合戦の地であった。
『甲斐国志』に、「一[古塚]秋山村 一子澤の東、犬橋と云う地にあり。土人相云う、古乱世の時、甲相の兵此地に決戦の事あり。戦死の者を集めて一同に此地に埋め、塚を築き、其上に松樹を植えて其表とすと。但し、時代何れの世に当るを知らず。近世其傍より塚崩れて矢の根或は鎖帷子等出し事あり。又、此の東、秋山川の向岸に城跡あり。周囲一町(約100m)余り、堤防今に存せり。河東は相地なれば是北條氏の城砦にして甲軍に備に置ける城なるべし」と記されている。
合戦の後、武田方は一古沢犬橋に、北条方は舟久保の地に死者を埋め、塚を築き手厚く葬った。『藤野町教育委員会説明板』より。