猪俣氏館 (いのまたしやかた)
最寄地 埼玉県児玉郡美里町猪俣2405−1 2023. 8.21
猪俣氏館 (いのまたしやかた)
最寄地 埼玉県児玉郡美里町猪俣2405−1 2023. 8.21
猪俣小平六範綱舘趾の石碑・標柱
高台院
小平六の墓(石碑の左)
猪俣の百八燈
猪俣氏館跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 猪俣小平六館跡は果樹園や民家敷地となり、遺構は見られない。猪俣川と正円寺川に挟まれた微高地で、「美里町史」には東西200m南北164mの長方形であったといわれる。西方の山頂に詰城の猪俣城がある。
南方には 一族の墓や百八燈の塚があり、村人による小平六の業績を偲ぶ盆の行事が行われているという。
【案内】 美里町猪俣の表記番地北に「猪俣小平六範綱舘趾」の石碑・標柱が建てられている[マップコード150 832 497*88](地図)。
また南に行った高台院(美里町猪俣1575)東側の道を少し南下すると、猪俣小平六の墓がある(地図)。
国道254号線脇に「猪俣の百八燈」入り口があり[マップコード150 833 342*52]、150mほど西に行くと「猪俣の百八燈」公園駐車場がある(地図)
【歴史】 小野篁を祖とする時資は猪俣村に住んで猪俣氏を称し、武蔵七党の一つ猪俣党の棟梁として勇名を馳せた。時資の4代の子孫が小平太範綱で、源義朝に従って軍功を立て、当時義朝十六騎の勇将として活躍した。
その後、義朝の子頼朝に仕え、武功を立てた。
小平六は建久三年(1192年)十一月に死去した。毎年盆の十五日の夜、南方の堂前山の塚に百八燈が灯され、小平六とその一族の慰霊の行事が行われている。