根小屋城 (ねごやじょう)
最寄地 群馬県高崎市山名町1923 2013.12.17
根小屋城 (ねごやじょう)
最寄地 群馬県高崎市山名町1923 2013.12.17
登城ルート(赤色マークが根小屋城/緑は山名城)
四阿
堀切
腰曲輪
主郭・新島譲石碑
主郭
根小屋城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高70m】
【案内・感想】 「山上碑および古墳」へ登る入口の西約65mに駐車場が用意されている[マップコード20 363 651*20](地図)。
「山上碑および古墳」の脇を230mほど行くと、山名城跡、根小屋城跡の矢印がある。山名城跡との分岐よりなだらかな尾根道を約250m行くと分岐となり直進、更に500mほど歩くと根小屋城跡に至る。
途中に途中に四阿があり、万葉の歌碑、鬼城の句碑「ゆさゆさと大枝ゆるる桜かな」等が建てられている。
追手を過ぎて、腰曲輪、堀切を経て登ると桝形虎口がある。その上の土塁に新島譲の石碑がある。虎口の西に御製「もえいづる春のわかくさよろこびのいろをたたえて子らのつむみゆ」の歌碑が立つ本丸がある。北に高崎市根小屋町の町並があり遊歩道が通じている。
【歴史】 永禄五年(1562年)箕輪城を落とした武田信玄は、西上州を手中におさめて、北条氏康、上杉謙信と対峙していた。
永禄十一年(1568年)に山名城、鷹ノ巣城(寺尾茶臼山城)の中間に、築城し、倉賀野、木部、和田の諸将を監視していた。武田氏の勢力が上野国から退いたのちの消息は不明となった。廃城時期も不詳である。