久永氏陣屋 (ひさながしじんや)
所在地 群馬県伊勢崎市東小保方町3297−2 2015.8.30
久永氏陣屋 (ひさながしじんや)
所在地 群馬県伊勢崎市東小保方町3297−2 2015.8.30
大東神社
説明板・碑
大東神社
南池
久永氏陣屋跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 大東神社(表記番地)の境内が陣屋跡で、「旗本久永氏陣屋跡」の碑と説明板が建てられている。南側と西側に幅20~30mの池がある。神社の北西に駐車場がある。
【歴史】 現在の東小保方地区は江戸時代には東小保方村と呼ばれ、徳川家の旗本久永源兵衛重勝の領地であった。
久永氏は石見国(島根県)の出身で埼玉や茨城にも領地が点在する禄高3200石の旗本であった。東小保方村は石高1182石の村であり、久永氏は村の支配の為、この地に陣屋を設けた。
陣屋は東西75m南北120mの広さで、濠や土居が構えられていた。濠はその後拡幅され池になり、現在、南池の南端と西池の東端に当時の面影が残っている。
南に正門を有し、さらに南へと通路が続いて細長い大手枡形となり、南端には木戸が設けられていた。
明治維新後に陣屋は廃止され、一時期小保方小学校として使われ、大正二年(1913年)周辺の神社を合祀した大東神社がおかれ今日に至っている。『伊勢崎市教育委員会説明板』より。