羽尾城 (はねおじょう) (宮前城)(みやまえじょう)
最寄地 埼玉県比企郡滑川町羽尾5189-3 2015.12.19
羽尾城 (はねおじょう) (宮前城)(みやまえじょう)
最寄地 埼玉県比企郡滑川町羽尾5189-3 2015.12.19
登城ルート
羽尾打越・金光地集会所
堀道・城跡標柱
空堀
主郭跡
2郭
羽尾城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 「羽尾打越・金光地集会所」(表記番地)に駐車し、その西より民家の横を通って(数匹の犬にしつこく吠えられた)、南に100mほど行くと、「羽尾城跡」の碑が建てられている。
碑より東に堀道があり、南に少し分け入ると空堀が東西に延びている。直進し、左に古い墓石の墓地がある。
戻って碑より南に行くと、東西約100m南北約100mの主郭があり樹木が切り払われている。主郭から南に一段下がって小郭(腰郭)があり、そこから市野川が望める。
西側に少し下がって2郭があり、堀跡が見える。
【歴史】 『滑川村史』には、築城は元亀三年(1572年)松山城の出城として、山崎若狭守が普請奉行となって当たり、山田伊賀守が城主となった。
天正三年(1575年)山田伊賀守宗道は没し、山崎若狭守が城主となった。
天正十八年(1590年)豊臣秀吉の小田原攻めにより、豊臣方の前田・上杉・真田連合軍が来攻し、羽尾城は前田利家の軍に包囲され激戦数10日の後、落城した。『続埼玉の城址めぐり』西野博道著より。