鰻山城 (うなぎやまじょう)
最寄地 栃木県佐野市戸奈良町940−4 2021.7.6
鰻山城 (うなぎやまじょう)
最寄地 栃木県佐野市戸奈良町940−4 2021.7.6
登城ルート
登り口
主郭から見た土塁
主郭南東側・城跡碑・幟
城跡碑(裏に由来文)
南側堀切
南側2番目の堀切
鰻山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高25m】
【感想】 佐野市戸奈良町の南北に細長い標高約90mの鰻山に築かれている。
全体的に薮化しており、あまりはっきりしないが東側に土塁が残り、南側に祠や城跡碑が建てられている。北側に1条の空堀と南側に2条の堀切が残っている。
主郭西側は土塁はなく切岸の下に帯郭が見られるが鬱蒼としている。
【案内】 県道66号線より北に行った表記番地向かいに小屋があり左側に登り口がある。若干の駐車スペースがある[マップコード64 727 772*83]。
そこから登って行くと、北側に空堀があり、土塁に登り南下すると祠があり南に「史蹟 戸奈良鰻山城之跡」の石碑、城址幟が建てられている。
南側に薮となった浅い二条の堀切がある。
【歴史】 鎌倉時代の仁治二年(1241年)に佐野実綱の4男・宗綱が戸奈良五郎宗綱と称し、鰻山城を築いたといわれる。
宝治元年(1247年)六月五日、幕府の有力な御家人三浦泰村と執権北条時頼の宝治合戦において、佐野左衛門尉、子の佐野太郎、佐野小五郎(宗綱か)が三浦氏に味方して討ち死にした。その後、廃城となったといわれる。