七戸城 (しちのへじょう) (柏葉城) (国の史跡)
所在地 青森県上北郡七戸町七戸2 2014.8.13
七戸城 (しちのへじょう) (柏葉城) (国の史跡)
所在地 青森県上北郡七戸町七戸2 2014.8.13
登城ルート(緑線は車道)
大手虎口・宝泉館跡
柏葉公園・城阯碑
本城跡・神明宮
本城西側の堀
西館
復元東門
七戸城 本城跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 国道394号線より七戸町役場の南より登ると未舗装の駐車場がある[マップコード215 408 255*11](地図)。
北に石段があり本城跡に神明宮(表記番地)が祀られている。
その北側に土塁が残り「柏葉公園」として開放され、「七戸城阯」の石碑が建てられている。北側は谷となり東門が復元され、花菖蒲園、姫塚がある。その北の台地が「貝の口」である。
本城の西、堀に隔てられて「北館」の広い曲輪がある。
その南に「角館」があり宅地となっている。東に「西館」があり八幡宮が祀られている。
「西館」と「宝泉館」とは土橋で繋がれ、空堀が残る。駐車場の「下館」との間の車道に面して大手虎口跡がある。
昭和十六年(1941年)12月13日、国の史跡に指定され、指定面積は17haに及ぶ。
平成三年度から発掘調査が行われ、その結果、八戸根城跡の御主殿と同じ規模構造の掘立柱建物跡などが検出された。
【歴史】 元弘三年(1333年)に新田義貞が鎌倉幕府倒幕の挙兵に際し、南部政長もこれに呼応して馳せ参じ、兄達と合流し、新田軍に参加して武功を立てた。その恩賞として七戸郷を与えられ、築城したと伝えられている。
天正十九年(1591年)城主七戸家国は九戸政実の乱に際して、政実に加担して羽柴秀吉を総大将とする奥州仕置軍に滅ぼされ、七戸南部家は断絶した。
翌天正二十年(1592年)「諸城破却書上」に「糠部郡之内 七戸 平城 破 信直抱 代官 横沢 左近」とあり、城は破却された。
しかし、津軽に対する備えから、信直は五戸町浅水城主・南部直勝に名跡を継がせ、慶長二年(1597年)その子七戸隼人直時を7万2千石の城主とした。
直時の死後、正保四年(1647年)盛岡藩第27代利直の5男重信が後を継ぐが、寛文四年(1664年)に、重信が南部本家29代(28代は三男重直)を継いだため、南部藩の直轄地となり城内に代官所が設置された。
明治二年(1869年)に、七戸藩が創設され、藩庁がここに置かれ、明治四年(1871年)の廃藩置県まで続いた。