蒔田城 (まいたじょう) (吉良氏館・蒔田御所)
所在地 神奈川県横浜市南区蒔田町124 2018.3.29
蒔田城 (まいたじょう) (吉良氏館・蒔田御所)
所在地 神奈川県横浜市南区蒔田町124 2018.3.29
横浜英和学院
横浜英和学院礼拝堂
説明板
勝国寺
説明板
吉良家供養塔
蒔田城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 大岡川右岸の標高30mの台地あり、横浜英和学院の敷地となっており、城郭の雰囲気は感じられるが、遺構は見られない。
【案内】 南麓にある勝国寺(南区蒔田町932)の駐車場が利用できる[マップコード2 028 620*57]。
勝国寺は吉良成高の開基と云われる吉良氏の菩提寺で、駐車場西の墓地には吉良政忠(成高の父)はじめ4基の五輪塔がある。
また、勝国寺より北に登って行った横浜英和学院(表記番地)守衛所の横に「成美学園遺跡」の説明板が建てられている。
「成美学園遺跡」は縄文時代早期、弥生時代中期から奈良時代にかけての集落遺構があった。
中世には吉良氏の居館としての蒔田城が築かれていた。
【歴史】 吉良氏は足利氏の一族で三河国吉良を発祥とする。貞治五年(1366年)吉良治家が世田谷郷を与えられ、応永年間(1394~1426年)居館として整備され、吉良成高の頃城郭として改修された(世田谷城)。併せて蒔田の地も領した。
成高の子・吉良頼康は北条氏綱の娘を娶り、蒔田城を築いたという。永禄四年(1561年)二月、頼康は堀越六郎の子氏朝を養子に迎えて家督を継がせた。その後、氏朝の子・氏広が家督を継いだ。
天正十八年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐で北条氏が滅亡すると、吉良氏広は蒔田頼久と改名し徳川家康の家臣となり、天正十九年(1591年)上総国大多喜の寺崎郷で1125石を領した。