楯の城 (たてのしろ) (楯沢城・宮平城・東木戸)
所在地 東京都青梅市日向和田1丁目70 2020.10.13
楯の城 (たてのしろ) (楯沢城・宮平城・東木戸)
所在地 東京都青梅市日向和田1丁目70 2020.10.13
登城ルート
手前の階段を登る
楯の城南の空堀
土橋東の空堀・左が曲輪
矢倉台西側
楯の城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高150m(矢倉台)】
【感想】 青梅街道の北側の台地に築かれており、北側背後に空堀がよく残っている。空堀は折れがあり、やや東に城内に引き込む土橋が見られる。
北西約500mの標高383mの尾根頂上には辛垣城の物見として使われたという矢倉台がある。
【案内】 国道411号線よりJR青梅線踏切を渡った西側に広くなった道路脇に路駐した[マップコード23 733 208*17]。
踏切先から階段があり(地図)、5軒の民家が主郭で、住宅の背後に東西に折れのある空堀が登ており、尾根伝いに来た武士が入る土橋が設けられている。
「楯の城」西側の堀道を北に150mほど行くと、墓地がありその裏から尾根に向かい、直登する形で尾根に出、西に登って行くと石垣にあるハイキングコースに出る。左へ尾根を時計周りに登って行くと矢倉台に着く(地図)。矢倉台には休憩所が設けられている。
明白院(青梅市日向和田2丁目395)には天正年間(1573~92年)勝沼城主三田氏の遺臣野口刑部丞秀房を開基として建立の際、楯の城にあった茅葺の門が移築されている。
【歴史】 青梅地方に拠点を置いた豪族三田氏は、勝沼城を居城としていたが、北条氏照の八王子滝山城に入城に伴う情勢変化で永禄年間の初めころ二俣尾の辛垣山に城を築いた。
同時期に南東約3kmに物見の矢倉台を築き、この楯の城も青梅街道を抑えるため築かれたと思われる。
元禄六年(1563年)北条氏照の軍勢が辛垣城を攻め三田氏は滅亡した。
その後、北条氏の家臣・田辺氏を城主とし、しばらく存続したが、天正十八年(1590年)の豊臣秀吉の小田原征伐により、廃城となった。