天神山城 (てんじんやまじょう) (白鳥城・根古屋城)
最寄地 埼玉県秩父郡長瀞町岩田35 2013.11.18 2015.1.13
天神山城 (てんじんやまじょう) (白鳥城・根古屋城)
最寄地 埼玉県秩父郡長瀞町岩田35 2013.11.18 2015.1.13
登城ルート(赤が主郭、緑が2郭)
白鳥神社
主郭・観光施設(廃止)
主郭南側横堀
堀切・橋
2郭・櫓
天神山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高90m】
【感想】 荒川右岸の標高226mの天神山にあり、横堀、堀切が残っている。主郭には天守風の観光施設が建てられていたが廃止され、朽ちるに任せている。
堀切には鉄製の橋が架かっており、南東に雑木林となっている2郭やその南面に帯曲輪が残る。
【案内】 県道82号線に面した「岩田上割地区コミュニティ集会所」(表記番地)向いの白鳥神社の左奥より登り口がある(地図)。標識等はない。
神社より九十九折れの径を登った比高90mの主郭跡には、昭和45年に観光用に建てられた天守閣風の建物があるが、床は落ち屋根も一部壊れている。
また別ルートとして、南東に(長瀞町井戸1513)に閉鎖された旧観光用道路があり[マップコード150 704 443*23]、廃建物の先の草地を行き、建物北の薮化した登り口(地図)よりなだらかな遊歩道がある。
【歴史】 天文年間(1532~55年)に猪俣氏の分流である藤田重利(のちの藤田康邦)が築城したと伝えられている。
天文十五年(1545年)の河越夜戦以降、北武蔵に勢力を伸ばしてきた北条氏康に、藤田重利は天文十八年(1549年)七月従属した。
永禄三年(1560年)に上杉謙信が関東侵攻を開始すると藤田氏は上杉方についたが、同年九月に北条氏によって攻め落とされた。
永禄七年(1564年)頃に北条氏康の四男である氏邦が藤田氏の女婿になり入城した。
氏邦は永禄十一年(1568年)十月から翌年三月の間に鉢形城に居城を移したが、その後も天神山城は使われ続け、天正十八年(1590年)の豊臣秀吉の小田原征伐の際に、鉢形落城と共に開城したといわれている。