用土城 (ようどじょう)
所在地 埼玉県大里郡寄居町用土956 2023.8.21
用土城 (ようどじょう)
所在地 埼玉県大里郡寄居町用土956 2023.8.21
寄居町農業ふれあいセンター建物
用土城趾の石碑
藤田康邦・用土新左衛門父子3代を偲ぶ用土城懐古の石碑
用土城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 「寄居町農業ふれあいセンター」一帯の微高地が城跡と思われるが、遺構は消滅している。東側の公園に用土城懐古碑が建てられ、往古を偲ぶのみである。
【案内】 国道254号線より県道265号線に入り、約200m先より左に狭い町道を北に行くと、「寄居町農業ふれあいセンター」(表記番地)の大きな建物があり、その向かいに城趾碑、用土城懐古の石碑が建てられている[マップコード150 834 276*64](地図)。
【歴史】 天文十五年(1545年)の河越夜戦以降、北武蔵に勢力を伸ばしてきた北条氏康に、天神山城主・藤田重利は天文十八年(1549年)七月従属し、氏康の幼少の四男・乙千代丸(のち氏邦)を養子とした。氏邦に藤田氏の家督を譲ったのち、藤田右衛門佐康邦(泰邦・重利)はその隠居城として用土城を築いたといわれる。
用土城に移ったのち、康邦は用土新佐衛門(ようどしんざえもん)を名乗った。
天正十八年(1590年)、豊臣秀吉による小田原征伐において鉢形城とともに落城し、そのまま廃城となった。