脇本城 (わきもとじょう) (国の史跡)
所在地 秋田県男鹿市脇本脇本七沢35 2013.11.7 2014.8.2
脇本城 (わきもとじょう) (国の史跡)
所在地 秋田県男鹿市脇本脇本七沢35 2013.11.7 2014.8.2
天下道・馬乗場
空堀・内館
内館より生鼻埼館跡群
内館・土塁
内館大土塁・井戸跡(中央)
内館南の空堀
脇本城 内館跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 男鹿半島生鼻埼の国道101号線のトンネルの上にあり、トンネル東側に駐車場が用意され、説明板が建てられている[マップコード88 842 022*31](地図)。
菅原神社(表記番地)迄車で行ける。神社横を登っていくと城跡案内所があり、視界が開け、二つのピークが望める。
右に内館、左に家臣の住む外館があり、南北約300m東西約200mの規模である。竪堀、空堀、大土塁、井戸跡(3ヶ所)があり、保存状態は樹木がなく良好である。生鼻埼館跡群からは日本海が望める。
平成十六年(2004年)9月30日、国の史跡に指定された。
【歴史】 14世紀ころから城館が造営されていたものと言われており、天正五年(1577年)檜山、湊の両安東氏を統一した安東愛季(ちかすえ)が大規模な改修を行い、居城とした。
天正十七年(1589年)湊合戦の戦場となり、豊臣大名・安東(秋田)実季の代には本格的修築は許されなかった。
天正十八年(1590年)豊富秀吉の奥州仕置から慶長七年(1602年)佐竹氏による久保田城築城の間に廃城となったといわれる。