寺尾中城 (てらおなかじょう)
最寄地 群馬県高崎市寺尾町1064-30 2018.1.4
寺尾中城 (てらおなかじょう)
最寄地 群馬県高崎市寺尾町1064-30 2018.1.4
登城ルート(緑は2郭/青は3郭/水色は4郭/紫は5郭)
入口
主郭西堀切
主郭・標柱
主郭2郭間の堀切
2郭
3郭東の堀切
寺尾中城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高20m】
【感想】 烏川右岸の標高193mの尾根上に主郭を置き、北東に伸びる尾根に4つの郭を配した連郭式の山城となっている。
東約1kmに寺尾茶臼山城、北西約3.7kmに寺尾上城(乗附城)がある。
寺尾中城は、夫々の郭の間に堀切が残り、特に主郭西側、3郭東側、5郭東側の堀切は深い。また、土橋が残り、4郭東側下段に竪堀がよく残っている。
【案内】 県道71号線「城山団地入口」より右折、西に「観音山ファミリーパーク」(表記番地)を目指す。開門(8.00)閉門時間(17.30)の制限があるが、ゲートを入った駐車場が利用できる[マップコード94 134 282*42]。
東側のローラー滑り台先に「高崎自然歩道」入口がある(地図)。中央コースを行くと、間もなく深い堀切、主郭がある。
主郭は南北に細長い。堀切を経て東に行くと藪化した2郭がある。さらに東に行くと、左側に3郭があり、堀切を経て、なだらかな遊歩道を下ると土橋が残り、4郭がある。
遊歩道の右に竪堀があり、少し登って5郭があり、12世紀頃新田義重に仕える鍛冶職人が祀ったという「鍛冶平稲荷神社」がある。その先に堀切がある。
【歴史】 築城時期は定かでないが、応永五年(1398年)尹良(ただよし)親王は、信濃南朝方の橋頭保である寺尾城に拠り、新田一族の世良田政義の支援を受けて、退勢の挽回を図った。
応永十九年(1412年)平井城主・上杉憲定に攻略されて落城、親王は信州諏訪へ逃れたと伝えられる。