井出沢城 (いでさわじょう) (井手沢柵)
所在地 東京都町田市本町田802 2016.1.27 2019.7.25
井出沢城 (いでさわじょう) (井手沢柵)
所在地 東京都町田市本町田802 2016.1.27 2019.7.25
菅原神社
菅原神社・2郭
主郭跡
井手の澤石碑
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 菅原神社(表記番地)東側の石碑のある高台が主郭と考えられるが、公園風の平坦地が見られるのみで、都市化により遺構はほとんど消滅している。神社石段の下の低地に涸れた「御神水」と呼ばれる窪みがある。
当日は外構工事の為、表面は見ることが出来なかったが、3年半後に再訪し、説明板と石碑を撮影してきた。
【案内】 都道3号線「菅原神社」交差点より西、細い道を行ってすぐ参詣用駐車場が用意されている[マップコード2 489 723*65](地図)。
菅原神社拝殿の左、愛宕社の立つ最高所に「史蹟井手の澤」(昭和三十年五月)と刻まれた石碑が建てられている。
昭和30年(1955年)3月28日、「井出の沢古戦場」として東京都の旧跡に指定されている。
【歴史】 井手の澤は、正安三年(1301年)沙弥明空の編した鎌倉時代の歌謡集宴曲に初めてこの名が表れ、次で建武二年(1335年)七月二十二日、足利尊氏の弟・直義が北条時行の軍を迎え撃った戦場として有名になった。
敗れた直義は鎌倉へ逃げ、護良親王(後醍醐天皇皇子)を家臣の淵辺義博に殺害させ、時行に追われ三河矢作へ退いた。北条時行は鎌倉に入ったが、20日余りで足利尊氏の逆襲を受けて鎌倉を追われた(中先代の乱)。
往古より鎌倉街道の要衝であったものと考えられるが、町田町土地台帳には出の澤とあり清泉滾滾と湧き出でて当時旅人の心を湿した所とも想像される。『裏面碑文』より抜粋。