松前藩戸切地陣屋 (まつまえはんへきりちじんや) (国の史跡)
最寄地 北海道北斗市野崎85 2013.8.3 2017.7.10
松前藩戸切地陣屋 (まつまえはんへきりちじんや) (国の史跡)
最寄地 北海道北斗市野崎85 2013.8.3 2017.7.10
南東側陣屋門と空堀・土橋
土橋左の空堀と土塁
石碑・馬隠し土塁
陣屋跡・井戸跡
北西側陣屋門・土塁
北東側土塁と空堀
東側突き出し部と土塁
松前藩戸切地陣屋跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 道道96号線の清川寺(表記番地)より400mほど西に行った「野崎霊園」先に駐車場が用意されている[マップコード86 360 030*30]。
土橋を渡ると、復元門があり、空堀土塁がめぐらされ、四隅に突き出た土塁のある四陵郭である。特に東側の突き出し部は大きく大砲入跡がある。草刈が行われており、保存状態は良好である。
「備頭・目付詰所跡」、「諸士詰所跡」の配置図看板が立てられている。清川陣屋、穴平陣屋、松前陣屋など様々な通称があるが、昭和四十年(1965年)3月18日、国の史跡となった折に「松前藩戸切地陣屋跡」と言う名称に統一された。
昭和六十二年(1987年)10月8日、追加指定された。
【歴史】 安政二年(1855年)に幕府の命で松前藩士・藤原主馬の設計によって縄張りがされ、松前藩により築造され約4ヶ月で完成した。
17棟の建物があり120名ほどで守備していた。陣屋の総面積は4万3千4百㎡、形状は四稜の星形で、東南部の稜堡に六門の砲座を配置した。上から見ると亀のようにも見える。
明治元年(1868年)、榎本武揚の率いる旧幕府脱走軍が森町鷲ノ木海岸に上陸し、陣屋守備隊は大野付近で会戦、撃破され、陣屋に退却した。
旧幕府軍の陣屋への追撃を見て、守備隊は自ら陣屋を焼き払い松前及び箱舘に敗走した。
明治三十七年(1904年)、日露戦争の勝利を記念して,函館の呉服商である岩船峯次郎が表御門跡から陣屋登り口までの一本道に桜の木を植樹し、以来、桜の名所として知られるようにもなった。