梁川城 (やながわじょう) (県の史跡)
所在地 福島県伊達市梁川町鶴ヶ岡1 2013.11.9 2020.1.26
梁川城 (やながわじょう) (県の史跡)
所在地 福島県伊達市梁川町鶴ヶ岡1 2013.11.9 2020.1.26
北側大手門跡
上杉氏時代の大手門跡
現在の小学校跡・ 土塁
現在の庭園心字池・土塁
浅間神社
梁川高校
梁川城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 本丸跡は梁川小学校、梁川幼稚園(表記番地)の敷地となっており、本丸南西側に松前藩の時の大手門の看板が建てられている。浅間神社南に土塁や庭園(心字の池)が残っている(地図)。
南側の二の丸跡に梁川高等学校が建てられている。
放射能の自動測定装置が2基、校舎の前にあり、0.152と0.100をデジタル表示している。親御さんの毎日の心労を思うとき、放射能事故の悲惨さを感じる。福島県の史跡に指定されている。
6年後再度訪れた所、小学校は西方に移転し広大な本丸跡は更地となっていた。
【歴史】 伊達氏3代義広(1185~1256年)または4代政依(1227~1301年)の頃、築城されたと推定されている。天文元年(1532年)に伊達稙宗が桑折西山城に移るまで、300年間伊達氏の居城であった。
豊臣秀吉の奥州仕置によって政宗が岩出山城へ移ると、梁川城は蒲生氏郷の所領となり、氏郷の死後は上杉景勝の所領となり須田長義が城代に置かれた。
慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いに絡み徳川方の伊達政宗と、西軍と見なされた上杉景勝との戦いが福島盆地で行われた(松川の戦い)。 伊達政宗は梁川城を攻めたが、抵抗強く諦めて引き上げた。
徳川幕府成立後も、伊達郡は引き続き上杉領とされ、梁川城に上杉氏の家臣が置かれた。寛文4年(1664年)後継者問題で上杉氏は15万石に減らされ、伊達郡は没収され、天領となり、梁川城は廃城となった。