平形館 (ひらかただて)
最寄地 山形県鶴岡市平形桜屋敷49 2016.6.9
平形館 (ひらかただて)
最寄地 山形県鶴岡市平形桜屋敷49 2016.6.9
説明板
説明板
土塁・堀跡
南西端の標柱
平形館跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 羽越本線の西、平形集落の東(表記番地)の間に南北100mに亘って土塁、堀跡が残っている。標柱、説明板が建てられ、西側の門跡である[マップコード90 378 644*76]。
館跡は、現在は畑となっている。羽越本線の東にも及んでおり、南側の踏切を渡った地点にも「平形遺跡(高畑)」の碑が建てられている。
館は東西約100m南北約150mで、水堀を巡らし、東と西の中央に夫々、門があった。
昭和五十二年(1977年)10月12日、山形県の史跡に指定された。
【歴史】 鎌倉時代に造られた在地豪族の館であり、藤島城の橋頭保として重要な役割を果たしていた。
天正十八年(1590年)豊臣秀吉の太閤検地に反対し、川南一揆を指揮して犠牲となった平賀善可(よしかず)が館主と考えられ、一揆鎮圧後、破壊されたという。