山崎城 (やまざきじょう)
所在地 千葉県野田市山崎964 2016.2.11
山崎城 (やまざきじょう)
所在地 千葉県野田市山崎964 2016.2.11
北側より遠景
海福寺石碑
岡部長寛墓
梅の台公園
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 東武野田線「梅郷駅」の南西約750mに位置し、流山街道「野田市山崎」交差点より西へ、約250m行き左折するとすぐ海福寺(表記番地)がある。
山崎城跡とされる海福寺一帯は北の道路より数m高く、城跡の雰囲気は漂うが、遺構は無い。山門前に「岸和田藩主岡部長盛公開基・海福寺」の石碑が建てられている。岸和田藩主はその長子宣勝からで、混同が見られる。
又、墓地には、岸和田藩12代藩主「岡部長寛」の墓がある。
西に、城跡の一部と推定される「梅の台公園」(地図)があり、竣工記念石碑が建てられている。
【歴史】 天正十八年(1590年)の豊臣秀吉の小田原征伐の後、関東にに入部した徳川家康は、譜代のの家臣・岡部長盛に1万2千石を与えた。下総山崎藩を立藩し、藩庁は下総国葛飾郡山崎(現在の千葉県野田市山崎)に置かれた。
天正十九年(1591年)、領内の堤台(現在の千葉県野田市堤台)に堤台城を築城した。
岡部長盛は慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、下野国において上杉景勝の牽制を務めた。慶長十四年(1609年)八月、長盛は丹波亀山藩(亀岡城)に加増移封され、ここに下総山崎藩は廃藩となった。
長盛の長子岡部宣勝は寛永十七年(1640年)九月十一日、8,800石加増され和泉岸和田藩主となっている。
岸和田藩12代藩主岡部長寛の官位は従五位下、正五位、筑前守であった。『ウィキぺディア』より。