深谷城 (ふかやじょう) (木瓜城) (ぼけじょう)
所在地 埼玉県深谷市本住町17 2013.9.23 2020.6.30
深谷城 (ふかやじょう) (木瓜城) (ぼけじょう)
所在地 埼玉県深谷市本住町17 2013.9.23 2020.6.30
西側の模擬塀
南側の 石塁・城址公園碑
本丸・城址公園
外濠跡の標柱
外濠跡・ 富士浅間神社
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 国道17号線「城址公園入口」交差点より北に約300m行った「深谷城址公園」となっている(地図)となっている。深谷市民文化会館駐車場が利用できる[マップコード34 094 627*37]。
水田地帯に外濠を巡らし、内濠と外濠の間の東西南北に郭を配置し、内濠に囲まれた本丸・二の丸が配置されていた。
現在、濠は埋められて城址公園として整備され、土塁、石垣、塀が模擬復元されている。
城地北東に位置する富士浅間神社(智形・千形神社)東側に外濠跡を残すのみである。
【歴史】 康正二年(1456年)深谷上杉氏の上杉房憲が築いた。その後、憲清、憲賢、憲盛、氏憲と5代に亘り居城した。
天正十八年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐で開城した。八月徳川家康の関東入部に伴い松平康直が1万石で入城した。その後家康の七男松千代、六男忠輝が継いだ。
しかし忠輝は慶長七年(1602年)佐倉へ転封となり、慶長十五年(1610年)松平忠重が入城したが、元和八年(1622年)上総国佐貫に移封となった。
その後酒井忠勝が1万石で入封したが、寛永四年(1627年)川越に移封となり、深谷藩は廃藩となり、寛永十一年(1634年)廃城となった。