前川城 (まえかわじょう) (川崎要害)
所在地 宮城県柴田郡川崎町前川舘山西5−1 2015.6.14
前川城 (まえかわじょう) (川崎要害)
所在地 宮城県柴田郡川崎町前川舘山西5−1 2015.6.14
川崎小学校・案内図
説明板・城址碑
説明板
招魂碑
南側斜面
前川城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 川崎町立川崎小学校(表記番地)の西に隣接し、城山公園となっている[マップコード464 347 208*00]。南側のスーパーマーケットから斜面切岸が良く見える。
居館跡にはゲートボール場やブランコが設置され、中央に「招魂」碑が建てられ、説明板、「前川城址(川崎要害)」の碑が建てられている。
東の一段低い小学校敷地が家中屋敷である。
【歴史】 慶長十三年(1608年)から同十五年にかけて、前川村中内城(元城)主・砂金実常が築城し、川崎城または臥牛城とも称した。
後、仙台藩の制度により川崎要害と公称された。館主は砂金氏が約90年、伊達村興が20年間居住の後、享保七年(1722年)伊達綱宗の孫村詮が2千石を拝領し、一門に列して川崎に移り、以後幕末までその子孫が居館した。