北秋津城 (きたあきつじょう) 大堀山館
最寄地 埼玉県所沢市北秋津353 2025.2.17
北秋津城 (きたあきつじょう) 大堀山館
最寄地 埼玉県所沢市北秋津353 2025.2.17
登城ルート
民家南側の小屋前を左へ
西側曲輪・土塁
北東側土塁・空堀
北側空堀
西側空堀・土塁
北西側から見た空堀・土塁
日月神社・御神木(右手前)
御神木の伝説
北秋津城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 市街化の波で住宅やマンションなどが建ち並べ、城跡の全貌は見るべくもないが、東西約60mのⅬ形の土塁がよく残っており、その北に並行した空堀、土塁が見られた。南側の民家の方の敷地と思われ、きれいに整備されていた。
【案内】 所沢駅南東約800mの一帯に駐車スペースはなく、城跡の西側の「所沢陸橋通り」に面したセブンイレブンに駐車させてもらった[マップコード5 402 114*88]。
すぐ北側に日月神社があり、枯れた御神木の伝説が建てられている。
東に行った民家の住人に断って、小屋手前から左に登ってゆくと、傾斜した曲輪や土塁、空堀を見ることが出来る。
西側のマンション北の駐車場から空堀、土塁が見えているが鉄条網が張られ中には入れない。
【歴史】 歴史的な背景が殆ど伝わっていない城であり、『柳瀬川流域の歴史と文化』の著者の栗原仲道は大石遠江守信重の館としている。
『所沢市史』では鎌倉時代以降の豪族(一説には久米郷が近い事から村山党の久米氏)の館と推測している。
また、滝山城、八王子城との交通網や滝の城との繋がりを考慮すると後北条氏が何らかの拠点として使用していた可能性も考えられる。
日月神社の案内板に書かれている民間伝承によると『この土地の殿様がいつも領民に無理難題ばかりを吹きかけて困らせており、ある時に無理な願いを叶えた代わりに神罰によって唖となった』 と伝わっているが、この殿様が北秋津城主の事だと言われている。 『ウイキぺディア』より。