大鳥井山遺跡 (おおとりいやまいせき) (関根柵) (国の史跡)
所在地 秋田県横手市新坂町5 2016.6.8
大鳥井山遺跡 (おおとりいやまいせき) (関根柵) (国の史跡)
所在地 秋田県横手市新坂町5 2016.6.8
十三塚
堀切
空堀(畝堀)
大鳥井山神社
居館阯碑
大鳥井山遺跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 県道272号線より西へ行った表記番地に駐車場が用意されている[マップコード138 263 876*80](地図)。駐車場横に説明板、案内図が建てられている。
西に「大鳥井山(おおとりいやま)十三塚」があり、堀切、畝堀がある。南に「大鳥山頼遠居館阯」の石碑が建てられ、頂上に大鳥井山神社が建っている。
遺跡発掘後埋め戻して、北に市民プール・多目的広場・テニスコート・などが整備され、また一部は宅地になっている。南端の「大鳥井山」を除いて直接目にすることはできない。
【発掘経緯】 旧・横手市が、横手市新坂町・大鳥町に総合運動公園の整備を計画し、その調査の過程で当遺跡の存在が明らかになった。昭和五十二年(1977年)から昭和五十八年(1983年)までの約七年間にわたり、発掘調査が行なわれた。
その後、旧・横手市が周辺町村と合併して現在の横手市となった後の平成二十一年(2009年)までの3年間の再調査を経て、平成二十二年(2010年)2月22日、国の史跡に指定された。
【歴史】 大鳥井山(おおとりいやま)から、旧石器時代(1万数千年前)の動物解体用の石器や、縄文時代中期から後期(3千5百年前頃)の住居、食料を貯蔵した穴、土器や石器が発掘されている。
『陸奥話記』により、清原氏の一族清原光頼・頼遠(大鳥居太郎)父子によって築かれたと云われる。
当時、清原氏一族は前九年の役(1051~62年)により、奥羽一帯を支配していた。
一族の内紛に端を発した後三年の役(1083~87年)は、横手盆地一帯に戦火がひろがり、大鳥井柵も金沢柵と共に焼失し、源義家と清衡の連合軍に敗れた一族は滅亡した。
やがて藤原清衡の三男・正衡によって再び城柵が築かれ、関根柵と呼ばれた。
台地を二重に巡る土塁や、空堀、山頂の建物跡、使用された土器、火災の跡などが当時を物語っている。
近世になり、石棺を埋めた積石墓や十三塚といった宗教や信仰に係わる造営も行われている。