大枝城 (おおえだじょう) (袖ヶ崎城)
最寄地 福島県伊達市梁川町東大枝神明26 2020.1.25
大枝城 (おおえだじょう) (袖ヶ崎城)
最寄地 福島県伊達市梁川町東大枝神明26 2020.1.25
登城ルート(緑線は車道)
入口
北側空堀(左側)
空堀(右側)
東側空堀
本丸東側空堀(続き)
本丸
城址碑
大枝城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高20m】
【感想】 阿武隈川左岸(北側)の標高73.9mの独立丘陵に築かれている。北側が低く、2の丸、3の丸と並び南側の最高所に本丸がある。
夫々の郭の間には幅広の空堀が残り、本丸の東側に深い空堀があり見所の一つとなっている。
【案内】 県道320号線の表記番地東の分岐に「大枝城跡」の案内板があり、細い道を約160m行くと「大枝城本丸跡」の案内板が建てられている [マップコード76 447 383*78](地図)。
未舗装であるが本丸まで車で行ける。本丸東側に空堀とそれに続く帯郭がある。
本丸は東西約35m南北約80mの規模で北側がやや傾斜しており、南端に「大條氏居城 綴麻ヶ森 袖ヶ崎城址」の石碑が建てられ祠が祀られている。
【歴史】 築城時期は明らかではないが、応永年間(1394~1428年)に伊達氏9代政宗(儀山)の弟・孫三郎宗行が大枝(のち大條)氏を称し築城した。
以後、宗景・宗元・宗澄・宗助・宗家・宗直と大枝氏の居城として続いた。
天正十九年(1591年)葛西大崎一揆後の再仕置で17代伊達政宗(貞山)が岩出山城へ減転封されると、大枝氏7代宗直も伊具郡大蔵へ移され、大枝城は廃城となった。
その後、大枝氏は転封を繰り返し、江戸時代の元和二年(1616年)に8代宗綱は大條(おおえだ)氏と改め、坂元要害へ2千石で移り、のち4千石に加増され明治維新まで続いた。