【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 城跡には古城天満宮が建っており、「城橋」の石碑、城跡の説明看板がある(地図)。
現在名残をとどめるものはなく、天満宮の建つこの地は天神廓の推定地である。
【歴史】 天文年間(1532~1555年)の中ごろ古河公方(足利晴氏)の配下であった広田直繁・木戸忠朝の兄弟によって築かれた。
三方を沼により囲まれた天然の要害であり、上杉謙信の関東攻略の最前線基地であったが、天正二年(1574年)落城し、忍城主成田氏長の支配下となった。
徳川家康の関東入部に伴い大久保忠隣(ただちか)の支配となったが、慶長十九年(1614年)忠隣が改易された後、廃城となった。
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