芦野城 (あしのじょう) (桜ヶ城・芦野陣屋)
所在地 栃木県那須郡那須町芦野2893 2015.2.1
芦野城 (あしのじょう) (桜ヶ城・芦野陣屋)
所在地 栃木県那須郡那須町芦野2893 2015.2.1
登城ルート(緑線は車道)
二の丸・西側土塁
二の丸・東側土塁
東曲輪の東空堀
本丸東空堀
本丸・四阿
移築陣屋裏門
芦野城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高40m】
【案内・感想】 国道294号線「芦野駐在所前」交差点より東に約280m行き[マップコード779 245 334*10]、右折すると、三の丸跡に「那須歴史探訪館」(表記番地)の見学者駐車場が用意されている。
登城道を登って行くと、南に二の丸があり周囲に東、西に土塁が残っている。裏門跡を入った本丸への登り口付近に「芦野氏陣屋跡」説明板が建てられている。
登ると本丸があり、四阿、電波塔が建てられている。北側の比高約40mの高台に空堀で隔てて曲輪が一つ、東に曲輪が三つあり、一番東の曲輪に栃木県の天然記念物「高野槇」(築城時に植えられたとされる)が指定され保存されている。深い空堀など一見の価値がある。
二の丸に間口十六間、奥行六間の平屋木羽葺きの御殿があった。南西隅に表門、北西隅に裏門があり井戸、蔵などがあった。
陣屋裏門が大塩家に移築され、碑、説明板が建てられている(地図)。
【歴史】 芦野氏の祖先は、鎌倉時代には小さな武士団の頭として、芦野の人々を支配し、奈良川の右岸の地に居館を構えた(字熊野堂・芦野氏中世居館跡)。
次いで室町時代の前期、応永年間(1394~1428年)頃、その南の館山城(字館山)に移ったと伝えられている。
その後三番目の居所として御殿山に城を築いた。室町時代の後期(戦国時代)の天文年間(1532~55年)に芦野資興が太田道灌の兵法を学んで築城した説が有力である。
江戸時代初期に芦野氏は、芦野周辺の村落及び芳賀郡内の六ヶ村を合わせて3016石を領有し、無役で参勤交代する旗本(交代寄合といい、居館を陣屋という)として、明治維新までの約260年間、ここを支配の拠点とした。そのため芦野氏陣屋跡と呼ばれる。