鷺沼城 (さぎぬまじょう)
最寄地 千葉県習志野市鷺沼1-9-18 2015.12.31
鷺沼城 (さぎぬまじょう)
最寄地 千葉県習志野市鷺沼1-9-18 2015.12.31
南入口・公園石碑
土塁
公園・滑り台
鷺沼源太石碑
鷺沼古墳
南西側
鷺沼城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 表記番地の西に東西約70m南北約40mの鷺宮城址公園となっている[マップコード6 318 826*37]。駐車場は特にない。滑り台のある遊具の先に古墳の石棺が保存されている。
その西に「鷺沼源太満義諸武士之碑」(昭和32年)と刻まれた石碑が建てられている。
裏面碑文には「今を去る六百年前正応年間伏見天皇時代市川城主里見氏及び源太氏を始め下総十有城主一団となり北条氏康と戦い、遂に利あらずして戦死す。・・以下略・・(昭和34年)」と記されている。伏見天皇の在位期間(1287~98年)、正応年間(1288~93年)と北条氏康(約400年前)と戦いが、整合性がとれない。
【歴史】 築城時期は不明だが、『吾妻鏡』に見える、石橋山の戦い後に頼朝が兵を整えた鷺沼旅館をこの鷺沼城に比定する向きがあり、この説を容れれば築城時期は平安時代に遡る事になる。
その後の鷺沼城に関しても詳細は明らかではないが、千葉郡誌に正応年間(1288~93年)に鷺沼太郎源太光義が拠りその墓が高台の南西部に築かれたとあり、本丸内の祠がその墓であると伝わる。
城跡に建立の石碑碑文によると、六百年前の正応年間に市川城主の里見氏と鷺沼源太満義ら下総の諸将が北条氏康と戦って敗れたとあり、第二次国府台合戦(1563~64年)に鷺沼氏の末裔が加わった可能性が考えられるが、碑文内容がひどく混乱しており、また、前述の鷺沼太郎源太光義と読みが同じであることから、光義の事績が誤って伝わったものとも考えられる。