北目館 (きためだて)
所在地 山形県飽海郡遊佐町北目楯ノ内31 2016.6.9 8.6
北目館 (きためだて)
所在地 山形県飽海郡遊佐町北目楯ノ内31 2016.6.9 8.6
八幡神社
北東側堀跡
北側堀跡・公民館
北西側堀跡
北目館跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 館跡は八幡神社、北目公民館[マップコード 352 439 423*25 ]の南の表記番地一帯に位置し、北から東にかけて堀跡の低地が残っている。
堀跡は田んぼ、用水路などで埋まったり、改変されているが、その痕跡が見て取れる。
【歴史】 城輪柵に赴任する国司の代わりに、その職務を代行させる「留守殿」の居館とされる。
文治年間(1185~90年)、菅原氏が居住し館主となった。
承久二年(1220年)鎌倉幕府より「幕府下知状」が出され、その宛名に「北目地頭新留守殿」と記され、北目館はこの新留守所の館跡とされている。南方約8kmにある新田目城が本留守所であった。 戦国時代に、菅原氏は武藤氏に属していた。
江戸時代には北目組の大組頭を命じられ、明治維新を迎えた。