権現堂城 (ごんげんどうじょう)
所在地 福島県双葉郡浪江町西台舘 2023.9.23
権現堂城 (ごんげんどうじょう)
所在地 福島県双葉郡浪江町西台舘 2023.9.23
登城ルート
入口・遠景
主郭2郭間の堀切
主郭・神社
2郭・神社跡
2郭西の土塁
2郭西の土塁・左は大堀切
2郭西の大堀切
権現堂城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 請戸川北岸の西から東に伸びた丘陵に築かれており、2つの郭と2条の堀切がよく残っている。特に2郭西の高土塁と大堀切は見応えがある。
震災以降、手入れがされておらず、草木が多かった。
【案内】 国道114号線の道の駅「なみえ」西の道を北に行き、不動橋を渡った先に西へ下る未舗装道入口がある[マップコード260 585 367*78]。その反対側の東の道路が広く駐車できる。
未舗装道を約180m行くと分岐があり(地図)、右に少し行き右に折り返すと2郭主郭間の堀切に着く。
主郭は2段になっており西側の高い方に神社が祀られている。
堀切より西に行くと矢竹の薮の2郭があり中央に神社跡が見られ(地図)、更に西に高土塁と深い堀切が残っている。
【歴史】 標葉隆連の兄盛隆の長子清隆は、嘉吉元年(1441年)請戸館から本城館(浪江)を築いて移ったが、防御に難があり文安年間(1444~49年)さらに権現堂城を築いて移った。
明応元年(1492年)冬、権現堂城における相馬盛胤との戦いに敗れ、標葉清隆・隆成父子は自刃し、標葉氏は滅亡した。
その後、相馬氏の家臣岡田将監が城代となり、相馬氏の支配下に置かれた。