北小弓城 (きたおゆみじょう) (北生実城)(きたおゆみじょう)
最寄地 千葉県千葉市中央区生実町1145 2015.4.3
北小弓城 (きたおゆみじょう) (北生実城)(きたおゆみじょう)
最寄地 千葉県千葉市中央区生実町1145 2015.4.3
説明板
本城公園
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 県道66号線「生実池」交差点の東280mより北に約200mにある「本城公園」となっている[マップコード27 212 565*63](地図)。
周囲は住宅地となり、高さ約1.5mの微高地となっている公園の西側に説明板が建てられている。通称妙見山を中心に3つの曲輪があった。
【歴史】 千葉氏は上総方面に対する備えとして小弓城を築き、原氏に守らせていた。その後、後北条氏と小弓公方足利義明・里見氏の勢力の拮抗する所となった。
天文七年(1538年)第一次国府台合戦に勝利した原氏は、領地を奪還し、新たに北小弓城を築き本拠とした。
天正十八年(1590年)後北条氏が滅亡し、この城は徳川家康のものとなり、三河西川城より移った西郷家員(いえかず)が支配した。
時代は下って寛永四年(1627年)生浜地区を中心に1万石の大名となった森川重俊は、生実城の一画に陣屋を築き、生実藩としてこの付近を治め、以後11代243年間続いた。
【発掘調査】 北と南は谷、西は生実池、東は浅い谷に堀切を入れて台地を区切り、その規模は600m四方に及んでいる。森川氏は城の一画に陣屋を構えたので、主郭部はそのまま残っていたが、昭和44、45年の団地造成により、土塁空堀など消滅した。
平成3年の発掘調査で享禄四年(1531年)銘のある庚申待板碑が井戸用テラスの床面下から出土したことから、築城または改築の時期を知る資料として注目される。『千葉市教育委員会説明板』より。