笹森城 (ささもりじょう)
最寄地 宮城県仙台市宮城野区鶴ヶ谷東4-9-19 2016.8.4
笹森城 (ささもりじょう)
最寄地 宮城県仙台市宮城野区鶴ヶ谷東4-9-19 2016.8.4
児童公園と土塁
西側崖
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 表記番地の西に道路を挟んで児童公園があり、鉄塔が土塁上に建っている[マップコード21 741 843*20] (地図)。北側の道路が堀跡と思われ、西側は崖となっている。
昭和三十年代以降(1955年頃以降)に周辺で開発が進み、土取りと造成のために尾根が崩され、谷が埋められた。城の主体部の曲輪跡は1970年代までに破壊されてしまった。
【歴史】 城が築かれた時期は不明で、文献的には天正年間(1573~92年)まで鶴谷治部が居住したことが知られるだけである。
仙台藩が幕府に提出したと言われる『仙台領古城書上』、およびその資料『仙台領古城書立之覚』に、東西45間、南北20間の山城で、天正年間に鶴ヶ谷治部が城主だったとある。
江戸時代に城跡は宮城郡国分鶴谷村に属したが、人の利用はなく、山の麓の舘下に中世以来の集落があった。