岩崎館 (いわざきたて)
最寄地 宮城県栗原市金成津久毛岩崎山根61 2019.10.1 10.16
岩崎館 (いわざきたて)
最寄地 宮城県栗原市金成津久毛岩崎山根61 2019.10.1 10.16
登城ルート
標柱(由来文)
猿田彦神社から登る
東側下段の郭
主郭切岸
主郭北側・土塁
北西の 2重堀切
【感想】 津久毛橋城の東約400mに位置している。
標柱の北側山頂が館跡で、民家が多く南東の猿田彦神社拝殿から登ってみた。
主郭背後の2重堀切は大きく見応えがある。北西に虎口状の土塁が残っている。
【案内】 県道186号線の猿田彦神社(表記番地)西に標柱が建てられている[マップコード319 260 220*18]。その北側の台地上に築かれている。
南東の猿田彦神社の拝殿背後から東側下段の郭があり、その先に急な切岸の主郭がある。
主郭は南北に細長く、竹藪となっている。北側に土塁がありその背後に2重堀切が見られ、堀切下に虎口状の土塁が残っている。
【歴史】 『猿田彦神社由来』によると、平安末期の平治元年(1159年)九月十三日鎮守府将軍藤原秀衡の家臣岩崎館主・長崎主殿長徳が伊勢河曲郡猿田彦神社の御分霊を鎮祭したと伝えられている。
『風土記書上』によれば、高さ7丈(21m)、東西17間南北60間(30×108m)で、館主は岩崎縫殿と伝えられる。
また近藤氏の系図には、葛西氏の旧縁・近藤伊賀守忠清が近江国より下向し、岩崎近藤氏の祖になったと伝えられる。