練馬城 (ねりまじょう)
所在地 東京都練馬区向山3-1-21 2014.2.1
練馬城 (ねりまじょう)
所在地 東京都練馬区向山3-1-21 2014.2.1
豊島園遊園地
向山庭園
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 西武豊島線「豊島園駅」前の豊島園遊園地正門を入った滑り台付近とその南が城跡(地図)とされ、遺構は通路となっている堀跡くらいで、判然としない。
南東に向山庭園(表記番地)がある。高低差のある地形に面影を偲ぶのみである。台地を東西に分断する石神井川の急崖で、城の北の守りとし、台地続きの南側を空堀で防御していたと推定される。
台地で見通しが良いことから、太平洋戦争中は、城址に練馬監視哨(軍事施設)が設置された。
現在「豊島園遊園地」から「練馬城址公園」として整備され一角に「ワーナー ブラザーススタジオツアー東京」がある (2023年6月)。
【歴史】 練馬城は元弘年間(1331~33年)頃に築城されたと推定され、豊島氏の一族が領した。
豊島氏は文明八年(1476年)に勃発した長尾景春の乱において、豊島氏は景春に同調し山内・扇谷両上杉氏と戦った。この乱で、両上杉方の江戸城と河越城の間に位置する練馬城は、近隣の豊島氏の城である石神井城と共に、両城の連絡を遮断する役割を果たした。
文明九年(1477年)江古田・沼袋原の戦いで、両上杉方の太田道灌は豊島泰経と戦って勝利し、豊島一族が立てこもった石神井城を落城させた。
練馬城については記録がないが、このとき太田道灌の攻撃によって石神井城とともに陥落したと考えられている。