平山城 (ひらやまじょう)
所在地 東京都日野市平山六丁目/八王子市堀之内 2020.7.26
平山城 (ひらやまじょう)
所在地 東京都日野市平山六丁目/八王子市堀之内 2020.7.26
登城ルート(緑線は車道)
平山城址公園北中央口・駐車場
物見の段差(右季重神社)
平山季重神社
六国台北側下段の平坦地
居館跡・碑
平山季重の五輪塔墓
平山城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高70m(宋印寺より)】
【感想】 日野市平山六丁目と八王子市堀之内の境にある尾根にあり、平山城址公園の一部となっている。
物見台のあったところに季重神社が祀られている。神社南側入口に段差があり、南側は緩斜面で段があるものの、これといっためぼしい遺構は見られない。
西尾根先の六国台と呼ばれる高台も城跡の一部なのだろうかはっきりしなかった。
【案内】 都道155号線「平山台小学校入口」交差点より西へ平山配水所横を通って行った行き止まりに駐車場が用意されている[マップコード2 781 516*77](地図)。また、宗印寺西からも遊歩道があり、団地西側を通って行けるが分かりにくい。
駐車場北から二股に分かれ右に行くと、平山季重神社に着く。
戻って左に行くと尾根道を経て、六国台と呼ばれる高台に着く。
北側下段に案内図の建てられた平坦地がある。
平山季重居館跡は、京王線平山城址公園駅の南ロータリー横に「季重公霊地碑」「平山季重遺跡之碑」石碑が建てられている[マップコード2 811 272*86]。
宗印寺(日野市平山6丁目15−11)本堂右手に平山季重の五輪塔墓がある。季重の25代の孫松本藩の平山季長により追悼のため建立された。
【歴史】 平山氏は武蔵七党の一つ西党に属し、西党の始祖日奉宋頼の分派になる。日奉直季がこの地に居館を構え、平山氏を称したのが始まりで、秋川流域を支配した小宮氏は平山氏の同族で、政権の移転によって改姓したのではないかという説もある。
寿永三年(1184年)、平山季重は一の谷合戦に際し、熊谷直実、直家父子とともに勇名を馳せた。
翌元暦二年(1185年)の屋島の戦い、壇ノ浦の戦いでも常に先陣を切って、勇猛果敢に戦った。
文治五年(1189年)には奥州合戦に息子の平山小太郎重村と参戦。そこでも戦功を挙げ、鎌倉幕府の元老として取り立てられた。建暦二年(1212年)に病没したといわれる。
建保元年(1213年)五月の和田の乱で横山党は滅亡したが、平山氏はこの乱に加担しなかったと思われる。
子孫は執権北条氏の粛清をくぐり抜け、戦国時代に後北条氏に従っている。
天正十八年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐で、平山氏重は檜原城に籠城するも落城し、平山氏一族は滅亡し、残った一族も没落した。