孫根城 (まごねじょう) (町の史跡)
所在地 茨城県東茨城郡城里町大字孫根913 2020.6.20 7.5
孫根城 (まごねじょう) (町の史跡)
所在地 茨城県東茨城郡城里町大字孫根913 2020.6.20 7.5
登城ルート
空堀・標柱と説明板
主郭
西側空堀・土塁
北西側空堀
主郭東側の空堀
南の郭・土塁
孫根城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 城里町大字孫根の岩船川右岸台地に築かれている。台地基部に空堀と高土塁が70m余にわたってよく残っている。東側の斜面にも空堀が残っている。
西側空堀の畑に面した部分は埋められているようである。また、谷を挟んだ南側にも墓地の西から南にかけて高土塁、空堀がよく残っている。
【案内】 城里町大字孫根の表記番地の民家敷地となり、南西側切岸に城跡標柱、説明板が建てられている[マップコード188 627 870*73](地図)。
また、谷を挟んだ南側台地にも南郭があり、墓地となって土塁と空堀が残っている(地図)。南側から墓地への道がある。
昭和四十八年(1973年)1月20日、城里町の史跡に指定されている。
【歴史】 築城年代は定かではないが、大山氏2代義道 (通)によって築かれた。 その後、長男義兼が住み、孫根氏と改名した。
延徳二年(1490年)に起きた佐竹義藤・氏義父子の反乱で、太田城を逃れた佐竹義舜(よしきよ)は母方の大山氏を頼り、義舜は孫根城に匿われた。 明応九年(1500年)山入氏の軍勢は孫根城を攻めたが、義舜は孫根氏の案内で金砂山城へ逃れた。