三芦城 (みよしじょう) (石川城)
所在地 福島県石川郡石川町下泉296 2014.4.17
三芦城 (みよしじょう) (石川城)
所在地 福島県石川郡石川町下泉296 2014.4.17
堀切
西舘跡
北側の堀切
見張台跡
狼煙台跡
本丸跡・城跡碑
石津々古和気神社
三芦城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 国道118号線より東に行った愛宕山に築かれている。北須川西に位置し規模は東西300mに及んでいる。
国道118号線より東に入り、100m先を大きく左折して約550m 東に行った所に西舘跡がある[マップコード225 834 128*13](地図)。
西舘跡には堀切が残り、東に「見張台跡」、「 狼煙台跡」、東端に本丸跡がある。
本丸跡には、城跡碑が建てられ、「石津々古和気神社」(表記番地)があり、拝殿裏に土塁が残っている。
【歴史】 平安時代後期に石川有光がこの地に館を築いたのが城の始まりといわれる。有光は清和源氏の出で、源頼光の弟頼親の孫にあたり、はじめ摂津国に居住していたが、永承六年(1051年)の前九年の役で多大な功績をあげ源義家の代官として、康平六年(1063年)に陸奥国石川庄に移り、三芦城を築いたという。
三芦城はその後石川氏代々の居城となり、約527年間続いた。天正十八年(1590年)の奥州仕置で小田原征伐への不参を理由に第24代石川昭光が豊臣秀吉の命で改易処分となった際に廃城になった。
石川氏当主・昭光は伊達政宗の叔父にあたるため、その後、伊達氏家臣となり、伊具郡角田城主(2万1千石)及び伊達一門筆頭としての地位を全うした。