五稜郭 (ごりょうかく) (箱館御役所・柳野城) (国の特別史跡・日本100名城2)
所在地 北海道函館市五稜郭町44 2013.8.3
五稜郭 (ごりょうかく) (箱館御役所・柳野城) (国の特別史跡・日本100名城2)
所在地 北海道函館市五稜郭町44 2013.8.3
五稜郭タワーより五稜郭全景
一の橋と五稜郭跡碑・案内板
半月堡・二の橋
虎口石垣の武者返し
見隠塁
復元函館奉行所
奉行所内より建物跡・土塁
五稜郭跡入口(地図)
【遺構★★★★★】
【感想】 水堀、土塁が星形に全周残っており、五稜郭タワーからの全景は素晴らしい。半月堡は橋で結ばれ、虎口付近は石垣で防備を増強してあり、見応えがある。
【案内】 五稜郭南のときわ通りに面した「道立函館美術館」(函館市五稜郭町37)西に有料駐車場がある[マップコード86 165 027*65]。
平成十八年(2006年)四月に開業した高さ98mの五稜郭タワー展望台(五稜郭町43-9・有料大人840円)があり、展望台からは南に函館山、北に五稜郭の堀、石垣の五角形が望める。
南に三角形の半月堡があり、一の橋が架けられている。北にも二の橋が架けられ虎口がある。虎口には目隠しのための「見隠塁」が設けられている。
25m以上の幅の堀、星形稜の先に突き出し部を設け、石垣上部に武者返しと呼ばれる折り返しを設け、高さ約3mの土塁が保存されている。
新しい城のため美観も良く、郭の中央部には、函館奉行所が復元されている。
大正十一年(1922年)10月12日、国の史跡に指定され、昭和四年(1929年)4月2日追加指定された。
昭和二十七年(1952年)3月29日、国の特別史跡に指定された。平成十八年(2006年)4月6日、日本100名城(2番)に選定された。
【歴史】 日米和親条約締結による箱館開港に伴い、防衛力の強化と役所の移転問題を解決するため、徳川十三代将軍家定の命により、洋式軍学舎の武田斐三郎の設計にて築造された。
安政四年(1857年)築城が開始され、元治元年(1864年)奉行所が移転し、慶応二年(1866年)に竣工した。
明治元年(1868年)榎本武揚率いる旧幕府脱走軍が占拠、函館戦争の舞台となった。翌、明治二年五月十八日新政府軍に敗北し明け渡された。
明治四年(1871年)以降、五稜郭内部の建物はほとんど取り壊され、材木などは開拓使官舎に使われた。その後は要塞兼練兵場として陸軍省の管轄下に置かれていた。