三原城 (みはらじょう)
最寄地 千葉県南房総市和田町中三原270−1 2020.6.17
三原城 (みはらじょう)
最寄地 千葉県南房総市和田町中三原270−1 2020.6.17
登城ルート(緑線は車道)
正木頼忠の宝篋印塔
南麓の平坦地
南側1番目の堀切
2番目の堀切
主郭・手水鉢
正木時忠(左)・三浦道寸(中央)の墓
三原城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高50m】
【感想】 正文寺北北東の標高約72mの山頂に築かれている。南麓に2段の居館跡のような平坦地があり、南のピークまでは藪が刈られ歩き易い。
ピークの北は鬱蒼として倒木が多く引き返したくなるが、竹藪の尾根を抜けると、2条の堀切や大岩の尾根があり、その北に石積、鉢のある主郭がある。
北東と西尾根にも浅い堀切が残っている。
【案内】 県道186号線より北に行った「正文寺」(表記番地)の駐車場が利用できる[マップコード211 449 542*75]。
正文寺は勝浦城主・正木頼忠(お万の父)が、父時忠・兄時通の菩提寺として中興した寺で、本堂東に正木頼忠(環斎)の宝篋印塔墓がある(地図)。
又、県道南の丘にある墓地最上段に 正木時忠、三浦道寸の宝篋印塔墓が祀られている(地図)。
三原城は正文寺西の道を北に行き、左に曲がった所から登る(地図)。居館跡のような平坦地があり、南端から尾根を登ると南東のピークに着く(地図)。そこまでは竹藪が切り払わられていた。
ピークの右側から北に下り、篠竹の藪を抜けて尾根を行くと、堀切がある。
さらに北にもう一つ堀切があり、大岩のある尾根を伝って行くと、狭い主郭があり、崩れた石積も見られる。
【歴史】 正木時忠を祖とする勝浦城の勝浦正木氏の城と云われ、時忠の長子時通が城主と云われる。
時通は天正三年(1575年)十一月八日、三原城で病死しており、南西約5kmの日運寺(南房総市加茂2124)に時通の墓がある。