石巻城 (いしのまきじょう) (日和山城 ) (ひよりやまじょう)
所在地 宮城県石巻市日和が丘2-1 2019.11.9
石巻城 (いしのまきじょう) (日和山城 ) (ひよりやまじょう)
所在地 宮城県石巻市日和が丘2-1 2019.11.9
神社北側・駐車場
説明板
城址碑(右)
鹿島御児神社
南東の段郭
神社から見た石巻市街
石巻城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高30m】
【感想】 旧北上川右岸の標高59.6mの日和山に築かれており、鹿島御児神社が建てられている。
遺構は少ないが南東の公園に行くと、段郭が見られる。神社からは旧北上川に沿った石巻市街が眼下に望め、2011年3月11日の東北大震災の津波から逃れ多くの市民が一時避難した場所である。
【案内】 北側から斜めに登る道があり、400m程行くと「日和山公園第一駐車場」が用意されている[マップコード105 022 519*44]。
そこから南に歩くと鹿島御児神社がある。茶屋の北に説明板、東に城址碑が建てられている。
【歴史】 葛西氏初代の葛西清重は、秩父氏(秩父平氏)一族の豊島氏当主豊島清元(清光)の3男で、下総国葛西御厨(東京都葛飾区の葛西城を中心に、江戸川区・墨田区などの伊勢神宮の荘園)を所領とした。
清元・清重父子は源頼朝の挙兵に応じて平氏討伐に参加して御家人となり、文治五年(1189年)清重は奥州合戦で武功を立て奥州藤原氏が滅んだ後、奥州総奉行に任じられ陸奥国(後の陸前国)7郡30万石の所領を得た。
江戸時代の地誌では、奥州に入った清重は、奥州藤原氏の本拠地である平泉ではなく、石巻の日和山に城を築いて本拠にしたとされる。
のちに本拠地を従来の石巻城から登米郡寺池城に移したが、その時期は諸説あって判然とせず鎌倉時代や、南北朝時代とする説がある。