上山城 (かみのやまじょう) (月岡城)
所在地 山形県上山市元城内3‐7 2011.10.25 2015.6.11
上山城 (かみのやまじょう) (月岡城)
所在地 山形県上山市元城内3‐7 2011.10.25 2015.6.11
模擬天守東面
模擬天守西面
本丸土塁
月岡神社
上山小学校・内堀跡
月岡公園・堀道の橋
上山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 二の丸跡に三重の模擬天守が昭和五十七年鉄筋コンクリート造で建築され、内部は郷土歴史資料館(表記番地)になっており、有料(400円)で一般公開されている[マップコード273 258 434*23]。
北の堀道の橋を渡ると月岡公園として整備されている。
本丸跡に月岡神社が建てられ藤井松平家初代利長と2代信一が祀られている。二の丸との間に土塁がある。月岡神社と上山小学校との間に内堀の名残がある。
昭和三十二年(1957年)4月20日、上山市の史跡に指定された。
【歴史】 応永年間初期(1400年前後)に、羽州探題で最上氏の祖斯波兼頼の曾孫里見満長が初めて着封、上山殿と称し虚空蔵山に山城を築いたのが始まりとされ、当時は高楯城または亀ヶ岡城とも云われた。
永正五年(1508年)に伊達氏に攻め落とされ上山義房は死去した。伊達氏家臣小梁川貞範が入った。
永正十一年(1514年)伊達稙宗に攻略され、翌年和睦し返還、五年後に再び攻略されたが、天文四年(1535年)上山義房の子・武衛義忠が城を奪還、改めて築城した。以後城主は武衛義節、その子上山満兼と続いた。
天正八年(1580年)最上義光に攻められ、満兼は討死した。代わって里見民部が城主になった。
江戸時代初期、元和八年(1622年)にお家騒動出最上氏が改易された後は、能見松平氏2代、蒲生氏1代、土岐氏2代が城主となった。
土岐氏の治世下、城下町を含めた諸施設が整い、月岡・天神森にそびえる壮麗な城郭は「羽州の名城」としてその名が知れ渡った。しかし、元禄五年(1692年)土岐氏の転封と共に、幕命により三重天守はじめ建造物は破却された。
その後金森氏1代、藤井松平氏10代が城主になり、10代信安の時、明治維新を迎えた。藤井松平氏の時には居館を設ける程度で、天守は再建されなかった。