徳丹城 (とくたんじょう・とくたんのき) (国の史跡)
所在地 岩手県紫波郡矢巾町西徳田第六地割53 2013.11.6
徳丹城 (とくたんじょう・とくたんのき) (国の史跡)
所在地 岩手県紫波郡矢巾町西徳田第六地割53 2013.11.6
徳田小学校北・外郭北門跡・石碑
政庁跡・平面復元建物
徳田小学校南・平面復元建物
西側土塁
佐々木家曲家
徳丹城政庁跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 国道4号線で分断されているが、4号線の西に駐車場に説明板が建てられている[マップコード81 380 654*64](地図)。外郭の土塁があり、それに沿って細い道を南に150m行くと、「矢巾町歴史民俗資料館」(矢巾町西徳田第3地割188-2)があり、北に「佐々木家曲家」が移築復元されている。
国道4号線の東側徳田小学校(表記番地)の北側に「徳丹城跡」の石碑と説明板が建てられている(地図)。徳田小学校のグランドの南に、政庁跡の柱列が配置され平面復元されている。
【歴史】 弘仁二年(811年)に起きた志波城の雫石川水害を理由に、10㎞南の地に、弘仁三年(812年)頃、征夷将軍文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)によって志波城を解体し建てられ、造営工事には二千人もの鎮兵が動員された。律令国家最後の城柵であり、九世紀半ばまで使用された。
外郭の敷地は350m四方に及ぶ。西には外郭の土塁がありその西に接して「矢巾町歴史民俗資料館」が建てられている。