門毛城 (かどけじょう)
最寄地 茨城県桜川市門毛315 2018.4.19
門毛城 (かどけじょう)
最寄地 茨城県桜川市門毛315 2018.4.19
登城ルート
入口
南の郭
主郭南の段差
主郭・土塁・標柱
北東側空堀・土橋
門毛城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【感想】 桜川市門毛の雨巻山より南西にのびた舌状台地に築かれている。東西50m南北200mほどの規模で南半分は畑地、北半分は杉林となっている。
杉林の中の郭は段差があるものの草木ではっきりしないが、主郭は割と視界が開け、北側に土塁、空堀がよく残っている。杉に括られて簡単な標柱があり、安心出来て有り難い。
【案内】 県道257線より県道286号線に入り、約300m行った表記番地先に登り口がある [マップコード188 211 699*56](地図)。その手前の県道が広く路肩に駐車できる
入口より北に行くと、広い畑が広がり北の杉林に入って右に曲がり緩やかな道を登ってゆくと主郭に着く。
主郭には「門毛城跡」の標柱が建てられ東西に伸びる土塁があり、その背後に空堀が残っている。土塁上に空堀状の溝がある。
【歴史】 戦国時代、笠間氏の武将阿保遠江守の居城であったという。笠間城主笠間氏と西明寺城主益子氏は同じ宇都宮氏の家臣であったが、仲が悪かった。
天正十一年(1583年)百姓同士の境界争いから、冨谷合戦が起きた。冨谷城と南の橋本城間で戦いが発生、益子方が破れ、冨谷城が落城したが、門毛城もこの合戦に当然巻き込まれたと思われる。