茅ヶ崎城 (ちがさきじょう) (市の史跡)
所在地 神奈川県横浜市都筑区茅ヶ崎東2-25 2014.2.4 2018.3.29
茅ヶ崎城 (ちがさきじょう) (市の史跡)
所在地 神奈川県横浜市都筑区茅ヶ崎東2-25 2014.2.4 2018.3.29
登城ルート
北郭
中郭東の空堀(奥が中郭)
中郭・建物礎石
東郭
中郭と西郭間の空堀
西郭・土塁
茅ヶ崎城 中郭跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【感想】 横浜市都筑区茅ヶ崎東2丁目の比高約15mの丘陵に築かれ、4つの郭から構成された平山城である。
土塁で囲われた中郭や西郭、北郭、東郭の4つの主要曲輪が空堀で区分されている。そのほか中郭の土橋、西郭の虎口、東郭の虎口、北郭の土橋跡(北側は道路となり石垣で養生)が見られ、説明板も多くよく保存されている。
折しも桜が満開で、大都市の公園らしく北郭や中郭で花見の客で賑わっていた。
【案内】 ブルーライン「センター南駅」の東にあり、「茅ヶ崎城址公園」として横浜市により整備され、北側に入口がある [マップコード2 474 057*71]。駐車場はない。
平成二十一年(2009年)11月2日、横浜市の史跡に指定された。
【歴史】 茅ヶ崎城は14世紀末から15世紀前半に築城されたと推定され、15世紀後半に最大の構えとなった。16世紀中ごろには2重土塁とその間に空堀が設けられていたが、これは北条氏独特のものとされる。
築城には相模・南武蔵を支配した上杉氏(室町時代)や後北条氏(戦国時代)が関与したと推定される。
「小田原衆所領役帳」によれば、茅ヶ崎一帯は小机衆の一員である座間氏の所領だったことから、茅ヶ崎城は小机城の支城で、座間氏が城代もしくは城番を勤めていたものと思われる。
天正十八年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐に際し、後北条氏滅亡と共に廃城となった。
江戸時代は徳川氏の領地となり村の共有地(入会地)として利用され保存されてきた。