豊島館 (としまだて) (豊島城・戸島館) (県の史跡)
最寄地 秋田県秋田市河辺豊成館下83 2016.6.8
豊島館 (としまだて) (豊島城・戸島館) (県の史跡)
最寄地 秋田県秋田市河辺豊成館下83 2016.6.8
登城ルート(緑線は車道/緑丸は前御殿)
登り口の説明板・標柱
説明板
前御殿への尾根道
前御殿
主郭・土塁
主郭・標柱
西側の腰郭
豊島館 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高70m】
【案内・感想】 県道61号線の岩見川北側に「豊島館入口→」の案内標識が建てられている。表記番地前の堤防道路を東に850m行き、左に秋田新幹線南側を西に150m行く。トンネル先に駐車スペースがある[マップコード303 517 378*60]。
徒歩で秋田新幹線北側を東に250m行くと登り口があり、説明版、案内図、標柱が建てられている(地図)。
東に登り尾根道を右に着くと「前御殿」と呼ばれる広い曲輪がある(地図)。当日は草刈が終わったばかりで、見晴らしは良く、中央に「豊島館城跡(前御殿)」の標柱が建てられている。
尾根を引き返し北に登ると、虎口があり土塁の残る主郭(奥御殿)がある。「豊島館城跡(奥御殿)」の標柱が建てられている。
北に空堀・土橋があり、曲輪があるが、イタドリが茂り撮影出来なかった。
また西に一段下がった腰郭は、草刈の真最中であった。
昭和十一年(1936年)3月12日秋田県の史跡に指定された。
【歴史】 永正元年(1504年)、黒川肥後守が築いたのが始まりとされ、桑木城と称した。
永正三年(1506年)源頼朝の武将畠山重忠の末裔の豊島玄蕃頭(畠山莊司次郎重村)が常陸より来て豊島城主となり、豊島郡三百歩を領した。
当時豊島氏は秋田安東氏の勢力範囲にあって、角館の戸沢氏、横手の小野寺氏の抑えとして重要な役割を果たしていた。
永禄十年(1567年)の冬、豊島玄蕃は雄物川を挟んだ西方7㎞の白華城(はっかじょう)を攻略したが、安東実季に攻められ、2年後奪還された。
元亀元年(1570年)の湊騒動の際、湊安東氏である高季に味方したが、檜山城主安東愛季(ちかすえ)に攻められ敗北し、重村は仁賀保氏を頼って落延びた。
その後、安東愛季の弟成季が入ったが、元和元年(1615年)の一国一城令により廃城となった。