森山城 (もりやまじょう)
最寄地 千葉県香取市下飯田3048−1 2016.12.7
森山城 (もりやまじょう)
最寄地 千葉県香取市下飯田3048−1 2016.12.7
案内図
奥仲城(根小屋)
奥仲城東の空堀・土塁
奥仲城東の土橋・土塁
仲々城(主郭)の牛舎
仲城(2郭)東の空堀
三城東の空堀
東胤頼の供養塔
森山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 奥仲城は3年ほど前から樹木、竹などが伐採され、整備されており、見晴らしは良い。特に主郭東側の土塁・空堀・土橋は見応えがある。
【案内】 北総地域最大級の城跡で「東野城」「飯田城」「橘城」「柑子城」とも呼ばれる連郭式の城である。
登り口は「下飯田青年館」[マップコード92 586 674*22](表記番地)のある西側(地図)、南側(地図)、東側(地図)などがある。
主郭に行くには西側入口が一番近い。青年館の横に駐車でき、案内図、説明板が建てられている。
星宮大神の大きな石碑横を進むと、星宮大神の拝殿があり、堀道を登ってゆくと奥仲城(根古屋:城主や家臣の居住区域)虎口に出る。土塁が残り右に行くと空堀、曲輪がある。
中央の道を東に行くと土塁上に「森山城跡(主郭部)」の碑が建てられている。その先に、深く見事な空堀が残り土橋が馬出し郭へ続いている。
その東に仲々城(主郭)があり、畑、牛舎などに利用されている。不明瞭な堀の東に仲城(2郭)があり、樹木の多い空堀、土橋が残っている。その東に三城(3郭)があり、空堀、土橋が残っている。
その東に広大な鳳凰郭(4郭)があり中央北側に「鳳凰大神」「東常縁の墳塚」があり、説明板が建てられている。
森山城の端はくびれて、ガードレール(地図)のあるところまでで、歩行距離約1kmに及ぶ。その東に隣接して須賀山城に続いている。
東氏代々の菩提寺である芳泰寺(香取市岡飯田598)に、寺伝で安貞二年(1228年)城主東胤頼が埋葬され大きな供養塔などが建立されている。
【歴史】 建保六年(1218年)に千葉常胤の6男・東胤頼が築城した説、また同年に胤頼の曾孫・泰行が鎌倉から東荘へ帰った時、森山城を築き須賀山城を廃した説がある。
戦国時代(天文年間1532~55)には、海上氏を継いだ千葉胤富が居城としたが、弘治三年(1557年)千葉家当主として本佐倉城に移ったため、粟飯原胤次が森山城主を継いだ。その後、千葉氏の重臣原親幹が城主となり、この間千葉胤富の主導で、森山城の改築が進められ、東側の須賀山城を取り込んだ大拡張、増強工事が行われた。千葉氏の拠点的な支城であり、戦国時代末期には、北条氏の支城としての性格を強めた。
廃城は天正十八年(1590年)北条氏滅亡から間もない頃と云われている。その後、徳川家康の家臣青山成重が森山に入り下総飯田藩を立藩した。