二子城 (ふたごじょう) (飛勢城) (とばせじょう)
所在地 岩手県北上市二子町 2017.4.23 2017.7.9
二子城 (ふたごじょう) (飛勢城) (とばせじょう)
所在地 岩手県北上市二子町 2017.4.23 2017.7.9
登城ルート(緑線は車道)
城址碑
八幡宮
詰城跡・展望台
西側切岸
北側堀切
居館跡・和賀神社
境内西側の空堀
二子城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高50m】
【感想】 北上川右岸の丘陵にあり、城域は東西約500m南北約1000mに及ぶとされ、西側に現在八幡宮のある飛勢の森が詰城主郭である。
西側に通路となった帯郭、北に堀切が残りよく手入れされている。
【案内】 国道4号線「北上工業団地口」交差点より東に2.3㎞ほど行き、右折南に約300m行くと「飛勢城趾」の標柱が建てられた入口がある。右折しさらに200mほど行くと駐車場が用意されている[マップコード108 587 272*03]。
駐車場の前に詰城があり、登ると八幡宮が建てられ、北に東西約20m南北約90mの細長い主曲輪がある。北端に展望台があり北上川が望める。下ると空堀がある。
居館跡は白鳥館と呼ばれ、麓の和賀神社境内となり、他に金刀比羅神社や白鳥神社などが建てられている。境内西側に深い空堀が残っている。道路を挟んだ南に文殊院の曲輪(御台方屋敷跡・現民有地)がある。
【歴史】 鎌倉時代、刈田系和賀氏の弟小田島が姓を和賀と改め、ここを本拠としていた。兄刈田系の和賀氏は、黒岩の岩崎城を本拠としやはり和賀氏を称し和賀郡半の総領地頭であった。
南北朝時代、二子和賀氏は南朝方に属し、西和賀方面の一族や仙北郡の本堂氏(小田島氏支族)と共に大勢力となっていた。
一方黒岩和賀氏は、支族鬼柳氏側から後継者を迎え鬼柳氏らと共に北朝方として活躍した。
応永七年(1400年)からは二子城に移り和賀郡一円を支配する和賀氏の本城となった。
天正十八年(1590年)義忠の代に豊臣秀吉の奥州仕置によって廃城となった。