豊田館 (とよだのたち)
所在地 岩手県奥州市江刺区岩谷堂下苗代沢 2014.8.16
豊田館 (とよだのたち)
所在地 岩手県奥州市江刺区岩谷堂下苗代沢 2014.8.16
豊田館跡入口・石碑
城趾碑・愛宕神社・藤原清衡生誕碑
藤原清衡生誕碑
愛宕神社跡・四阿
豊田館跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 国道456号線と県道156号線の交差点の北東の台地に豊田館跡がある[マップコード108 053 161*86]。
専用駐車場の横の坂道に史跡公園として整備した際の色々な石碑が集められている。敷地の南西に愛宕神社跡の碑と四阿がある。
北側に移転された愛宕神社が祀られている。その西に、安永三年(1774年)建立の仙台藩儒田辺希元撰の豊田城跡碑が小屋掛けされて保存されている。
碑文には、「此地也東西五十七歩南北三十九歩在昔亘理権太夫経清所城也経清戦死平泉之役以其子権太郎清衡有勤王之勲乃封奥之六郡復居之当時北上川在城之城之辺浮梁之稱今存東北有高水寺址東南有鎮岡祠白旗池倶事詳封内風土記多歴年所人不知之立碑以傳焉」(略。経清の城であり、経清が平泉の役で戦死した後は、子の清衡が勤王の勲功で奥の六郡を得て居とした。略)と記されている。
神社の東に藤原清衡生誕碑が建てられている。
【歴史】 陸奥守源頼義から江刺郡を授かった奥州藤原氏の祖先・藤原経清が居館として築き、後三年の役(1083~87年)の後に中世都市平泉を築いた経清の子・清衡が生まれ育った場所であると伝わる。
清衡は康和元年(1099年)、豊田館から母方安倍頼良の娘ゆかりの地である衣川を越えた平泉へ移った。
豊田館は、清衡が平泉に拠点を移した後も平泉館など奥州藤原氏の五館の一つとして政庁的な機能をもっていたと推測されている。